e-時代の翻訳ビジネス第4回

業界識者が証言する翻訳者の成功モデル


トランレーダー編集部『e-時代〜』取材班は、翻訳業界事情に詳しい複数の識者に集まってもらい、表題について座談会を実施した。参加者3名のプロフィールは次の通りである。会場は都内某所。

A氏: 編集プロダクション所属ライター(女)

B氏: 翻訳学校教務主任(女)

C氏: 外資系ローカライザー勤務リソース・マネージャー(男) 

司会進行: トランレーダー編集部

◆ 文系出身者がメディカル分野のトップ翻訳者

メディカル(医薬)分野の翻訳者というと圧倒的に薬学部や理学部の出身者が多い。高度な専門知識が要求されるからだ。メディカル翻訳となると、バックグラウンドを持たない一般からの参入はハードルが非常に高いと考えられている。

だが、文系の人がメディカル翻訳者として活躍できる可能性が全くないというわけでもないらしい("文系"というくくり方に抵抗を感じる人もいるだろうが、ここでは学生時代に文化系の学問を専攻した人という意味で使っている)。

A氏: 「あるメディカル翻訳専門のエージェントさんのところでは、トップの翻訳者が文系出身者だそうです」

つまり、産業翻訳の中でも特に専門性が高いと言われるメディカル翻訳を、全く知識のない文系の人が目指す場合でも、本人の努力次第ではトップクラスの翻訳者になれるという実例だ。では、問題となる知識についてどうなのだろうか。

A氏: 「理想をいえば、専門医と同程度の知識があるのが望ましいのですが、現実にはそこまでは無理なので、その一歩手前くらいのレベルが目標になります」

専門知識の重要性が繰り返し説かれるが、必ずしも医師並みの知識を習得していなければならない、ということでもないらしい。

A氏: 「たとえば、原文中に分からない箇所が出てきたときには、勘を働かせてここを調べれば問題を解決できる、という見当がつくくらいの知識を持てばいいんです」

B氏: 「別にメディカル翻訳に限ったことではないですね。原文を読んで大体のことが理解できればいいんですよ。細部の不明な個所については、調査して補える能力があればいいんですから」

A氏: 「産業翻訳で扱う文章、つまり元原稿は専門家が書いているわけですから、翻訳者が原著者と同等の知識を持とうするのは、そもそも無理なんです」

未熟な状態でスタートしても、わからないことは、それぞれのジョブの段階で調査して習得していけばいいというのだ。では、具体的に、一からメディカル翻訳を学びたい人はどうすればいいのだろうか。

B氏: 「看護学校で使う教科書をテキストにして勉強するという方法があるそうです。最初は解剖学から入ると良いという人もいます」

◆ 景気動向の影響を受けにくいメディカル翻訳の需要

メディカル翻訳は景気動向の影響を受けにくいといわれている。医療に対するニーズが経済の好不調とは無関係だからだ。新しい治療法や新薬は次々と発表されており、画期的な治療法や新薬が開発されると、途端に仕事が増えるという。

A氏: 「たとえば、一つの新薬の承認申請にまつわる書類だけでも膨大な翻訳需要が発生します」

製薬会社の社内文書、医師の論文、専門誌の記事なども対象になる。最近では、バイオ技術の発展がめざましく、環境ホルモンという新しい問題も浮上している。今後もメディカル分野で翻訳を必要とする文書が減ることはないだろうという強気の意見が主流だ。

A氏: 「工業技術分野と違って、流行り廃りが将来にわたって考えにくく、景気動向の影響を受けにくいというのは、安定した収入を求める専業翻訳者には大きな魅力だと思いますよ」

B氏:「私どものところには受講生だった人から年賀状が届くんです。その中の近況報告で、メディカル翻訳を志望していた既婚の文系出身者が、三十路を過ぎて知識習得のため理学部に学士編入したと書いてあるのを見て感心したことがあります」

実際に、そこまでする必要はないのかもしれないが、メディカル翻訳には、一生の仕事として取り組むだけの魅力があるということだろうか。

B氏:「今年の賀状には、四十を目前にして某国立大学の医学部に入学したという報告があって、本当に驚きました。もっとも、この人の場合は翻訳をやめて医者になるつもりかもしれませんが(笑)...」

◆ 専門書を100冊読んで超一流の金融翻訳者に

B氏:「金融業務の経験もなく全く知識の無かった人なんですが、専門書を100冊読んで、金融専門の翻訳者になったという例もあるんです」

この翻訳者の場合、並の金融業界出身者よりも詳しい専門知識を習得していると評判だという。

B氏:「ただし、100冊の本を、内容を理解して読むというのはできそうで、なかなかできないことなんですよね。それをやり遂げることが大切なんです」

もちろん、才能の有無にもよるが、全く基礎知識のない人でも努力次第では、高度な専門分野の翻訳者として活躍できる可能性があるという。産業翻訳は決して門外漢に閉ざされた世界ではないのだ。

◆ 翻訳単価はどこまで下落するか

単価の下落が続いている。翻訳会社間で価格競争をしてしまうのが原因のひとつにあげられる。

C氏:「産業として維持するためには、省力化できる部分でコスト削減をはかるのが当然でしょう」

B氏:「具体的には、翻訳会社が最もコストを下げやすい、フリーランス翻訳者への発注単価が真っ先に切り下げられるんでしょうね」

かといって、どこまでも際限なく下がるということは考えられないという。一般に大口で納期の長い案件に対しては値引きが行われることが多い。だが、

C氏:「いくらボリュームが大きくても、絶対にこれ以上の単価の引き下げは無理というラインがあるんですよ」

A氏:「企業努力にも限度があるので、どこまでも際限なく下がり続けるということはないでしょう。産業として成り立たなくなるから...」

C氏:「でも、一度下がったものが元に戻ることはないかもしれませんね...」

◆個人翻訳者による直接取引の可能性

たとえば、1つのオプションとして、ソースクライアントからの仕事を直に翻訳者が受注するという形態は考えられないのだろうか。

C氏 :「それは、あり得ないですね」

C氏 :「たとえば、ローカライズでは1つの案件で20万ワード、30万ワードということもあります。これくらいのボリュームになると個人の翻訳者が処理できる量ではありません」

C氏 :「発注側にすれば、丸投げで一切任せられる会社組織のベンダーの方が便利なんですよ」

B氏 :「実力のある翻訳者が法人格を取得して、翻訳者兼翻訳エージェントという格好で、ソースクライアントとの取引に成功している事例もあります」

◆小口需要の担い手としてのネット翻訳仲介サービス

ネットに仲介サイトを開設し、主に営業と金融機能だけを担い、実際のジョブはクライアントと翻訳者が直接やりとりする新サービスが登場している。

C氏 :「大口のジョブや、特に品質にこだわるようなジョブは、個人翻訳者が実質的に直受けしているような仲介サービスに出回るとは思えないんですね」

A氏 :「たとえば、私たちの仕事でもそうなんですけども、自分では完璧に書いたつもりでも他の人に見てもらうと必ずどこかに朱が入ります。そんな完璧な人間はいないんですから」

従来の翻訳ビジネスでは、品質管理という観点でも、ワン・クッションとして翻訳会社が入り、翻訳者とは別の人間が訳文に目を通すというシステムが確立している。

C氏 :「(翻訳者からあがってきた訳文に対して)誤訳がないか、日本語として通りが悪くないかをチェックしています。何らかの事情で翻訳の経験のない人材がチェックにあたる場合でも、訳抜けがないか、数値がきちんと転記されているかくらいは最低限確認しているわけです」

そうして、はじめて商品として価値のある翻訳が出てくるのである。

A氏 :「たしかに、中には非常に優秀な翻訳者がいて、その翻訳者になら発注するメリットがでてくるということもあるかもしれません。それでも、個人の処理能力には限界があるので、大きなジョブは行きにくいでしょうね」

C氏 :「結局、大口のジョブになるとクライアント自身で、翻訳会社がやるようなマネージメントをしなければならないわけです」

A氏 :「クライアント側に手間がかかると、多少翻訳料金が安くても結局コストがかさむことになってしまうでしょう」

要するに、翻訳仲介というものは既存の翻訳請負ビジネスと競合するようなサービスではないらしい。隙間ビジネスとでも言うべきだろうか。

C氏 :「翻訳会社というのは、できるだけボリュームの大きい仕事をやりたいんです。仲介サービスは、これまで行き場のなかった細かい仕事を一手に引き受けているという構図ですね」

業界各方面の話題を集めている翻訳仲介サービスだが、翻訳会社経営者クラスに冷ややかな反応が多いのは、このような事情があるためかもしれない。

◆ 高収入を実現するには

さて、トランレーダー恒例(笑)となった翻訳者の収入についてである。全体が下がっているという点では、全員の意見が一致した。こういう厳しいご時世だからこそ、なるべく明るい話題を提供しようということで、稼ぎ頭の人で最高いくらという方向で進めることになった。

A氏 :「ある翻訳エージェントの社員の話なんですが、昨年その会社からの支払い額が年間2000万円に達した女性翻訳者がいるそうです」

法人化しているわけではなく、翻訳者グループを作っているというわけでもなく、個人事業で2000万円ということである。

B氏 :「いまどき、産業翻訳でそんなに収入があるなんて、それはもう"超人"の域ですね(笑)」

B氏 :「きっと、本当にトップの人で、実際、相当な無理をして仕事をこなしているのでしょうね。土日祝日も働いて、旦那にも手伝ってもらっているとか...」

A氏 :「まあ、そこまでいかなくても、1000万円以上稼ぐ人なら、けっこういるという話はよく聞きますね。ただし、年商なのか、年収なのか、年間所得なのかは、はっきりしないのですが...」

B氏 :「その、どれなのかによって、同じ年間1000万円でも全く意味が違ってきますね」

C氏 :「うちの翻訳者にも、実際に1000万円を超える人が確かにいますが、割合としては常時稼働している翻訳者全体の2%くらいですね。つまりA-Bクラス翻訳者50人のうちの1人です」

翻訳者の収入の実態については諸説あるが、大部分のプロ翻訳者の年収は 300万〜600万円の範囲に収まっているだろうという見解で全員がほぼ一致した。逆に言うと、300万円を超える年収があれば、一人前のプロであるという証になる。

A氏 :「具体的にいくら稼げるかはさておいて、高収入の秘訣は、ある程度の品質を維持しつつ、量をこなすことだそうです」

たとえば、Word マクロ言語であるVBAを使える人が、独自のツールを開発して、生産性を向上させているという事実は、筆者自身も何度か目にしたことがある。リアルタイムで作業の進捗情報を管理するツールや頻出する固有名詞を一括入力するノウハウをみせてもらったときには驚嘆したものだ。

B氏:「マクロを自由に操れれば、翻訳そのものをさせるのは無理としても、アイデア次第でほとんど無限の応用ができるという人もいますね」

翻訳メモリにしてもそうだ。TM/2やTRADOSが脚光を浴びる前から同じコンセプトの訳文リサイクルツールが開発・販売されていた。個人の翻訳者にも、繰り返しの文章が頻出することに着目し、データベース化した翻訳資産をリサイクルするシステムの構築に成功している人がいたはずだ。

たとえば、OSについてはWin 9x系列よりも、NT系列のOSの方が安定度が高いし、大容量データの取り扱いには有利だと言われている。TRADOSにはNT系OSの方が相性がいいという意見もある。

C氏 :「マシンに強い人はNT系を選択するようですね」

A氏 :「量産して高収入を得ている翻訳者に、やはりTRADOSを使っているのかときいたことがあるんですが、TRADOSは指定があったときか、仕上げにしか使っていないと答えが返ってきたんです」

A氏 :「では、どうやってスピードアップしているんですかという問いに対して、具体的なノウハウは企業秘密だということなんですね(笑)」

それはそうだろう。秘伝を惜しげもなく公開してくれる奇特な人がいるわけがない。

A氏 :「品質管理という点では、機械翻訳(翻訳ソフト)を使っている例もあるんです」。

B氏 :「大多数の翻訳者はいわゆる翻訳ソフトに対して否定的ですよね。アレルギーのような拒絶反応を示す人も少なくないし。頭から使い物にならないと決めつけてしまうんです」

A氏 :「もちろん、現状では下訳のツールとしてもまだまだ無理だとは思いますが...」

一括で用語の置き換えをして用語管理に役立てている例があるという。俗に言う辞書引きマシンとして活用しているわけだ。英日翻訳の場合だと、英文中に専門用語の訳語が混じった文章になり、それを上書きしていく作業をすることになる。

実際、市販の翻訳ソフトにはTRADOSのような翻訳メモリ機能を盛り込んだプロ向けの製品も登場している。そもそも、原文と訳文を関連づけてデータベースを構築し、類似の文章でリサイクルするという基本機能においては、翻訳メモリも機械翻訳も本質的に同じ処理をしているという考え方もあるのだ。

A氏 :「英日にはLogoVista、日英ではAtlasを推す声が強いですね」

翻訳ソフトの中には、すぐれたユーザーインターフェースを備えた製品もあり、一種の翻訳エディタという考え方もできる。少なくとも訳抜けが減り、用語の統一ができるというメリットが期待できるという。

C氏:「私自身は翻訳ソフトを実務で使おうとは思いませんね。機械がはきだす質の悪い文章を大量に読まされると、自分の言語感覚が狂ってしまうような気がします」

C氏:「いっそのこと機械翻訳機能を取り除いて翻訳メモリ機能付き翻訳エディタとして発売してくれた方が、まだ試してみる気になるかもしれませんよ(笑)」

もちろん、マクロや市販ツールを活用する人それぞれに様々なノウハウがあっても、生産性がいきなり2倍になるというような劇的な変化を期待するのは無理だろう。だが、一つ一つのノウハウでは5%程度の向上しか望めなくても、細かいノウハウを組み合わせればトータルで20%の向上ということになるかもしれない。たったの20%なのかと思われるかもしれないが、たとえば、通常10日間かかるジョブが8日間で完了できるのであれば、翻訳者にとって非常にありがたいはずだ。

B氏:「このようなノウハウの開発には、産業翻訳ならではの『夢』がありますね(笑)」

夜が更けて、座談会は御開きとなった。

(進行・文 トランレーダー編集部)

 【 トピック 】

◆ 文系出身者がメディカル分野のトップ翻訳者

◆ 景気動向の影響を受けにくいメディカル翻訳の需要

◆ 専門書を100冊読んで超一流の金融翻訳者に

◆  翻訳単価はどこまで下落するか

◆ 個人翻訳者による直接取引の可能性

◆ 小口需要の担い手としてのネット翻訳仲介サービス

◆ 高収入を実現するには

※この記事のオリジナルは、日外アソシエーツ発行の読んで得する翻訳情報メールマガジン「トランレーダードットネット」に掲載されたものですこのページへのリンク掲載は自由に行っていただけます。お問い合わせはこちらまで

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