山岡洋一が怒る!翻訳は簡単な仕事じゃないんだ。

山岡洋一が怒る!

山岡洋一をキーワードにして検索をかけると、訳書が山のようにヒットする。陳腐な表現だが、名実ともに現代の日本を代表する翻訳家のひとりである。文字通り日本を代表する翻訳家である

神奈川県川崎市の住宅街にあるマンションの一室が山岡さんの個人オフィス。自_宅からこのオフィスまで毎日通勤しているという。一日のお仕事が終わるころあいを見計らって、日外の社員A氏と筆者は山岡さんを訪ね、お話を伺った。

難物として知られる有名翻訳家の取材ということで、当日の朝から緊張していた筆者だが、実際にそれが始まると、自衛隊機の機関砲弾を全身にぶちこまれるような強烈な体験となった。読者のみなさんも覚悟して読み進んで欲しい。

SOHOという言葉に酔うなんて

(SO_HOという言葉が流行しているようです。自_宅を仕事場にして高収入、趣味もあって仕事以外の生活が充実していて、という理想像を求める最近の若い世代について…)

ほんとーに、馬鹿だね。

SO_HOというのは、スモールオフィス・ホームオフィスなんですよ。で、オフィスはあるのか。SO_HOを名乗る人には、まずオフィスを持てるような家に住んでいるのかとききたい。

田舎だったら、はなれにオフィスを作れ、と言いたいですね。都会だったら、屋上にプレハブを建てるとか。そこまでやってはじめてSO_HOになるわけですよ。オフィスを構えることでSO_HOになるんです。台所の片隅や階段下の狭いところでやるのは、SO_HOではないんだから。

SO_HOという言葉に酔ってしまうような言語感覚では、翻訳をやっても成功するはずがないし、そもそも翻訳に向いてない。言葉に対する感性が鈍すぎる。そんな連中に翻訳をやって欲しくないですね。

そういう意味では、まだ内職で翻訳という人の方が見込みがあると思う。ご飯を食べてからテーブルを片づけてやるのは、内職でしょう。

SO_HOなんかに憧れてくる人は見込みがないと思う。私なら、そういう人にはやめておけと言いますね。訳書・著書の一部。他にも山ほどある。是非読んでみよう!

稼いでこそプロなんだ

もう一つ、翻訳志望者に感じることなんだけど、収入に対する目標額が少なすぎる。プロの仕事なんだから、プロの腕をみせて、プロとしての報酬をもらわなければならないんです。

会社勤めをやっている人と同じくらいの収入しかないんだったら、プロじゃないですよ。独立してやっているのにサラリーマンより収入が少ないなんて話にならない。

配偶者控除枠内で年収100万円を突破したいなどという目標でくる人には、はなからやめておけと言いたいですね。そんな程度の仕事じゃないんだから。そういう人には、コンビニでパートでもやったらと言いたい。その方がずっと楽に稼げるでしょう。

プロとしての誇りを持てて、金を稼げる人間じゃなければ、翻訳なんてやってはいけないと思いますね。

惨憺たる出版翻訳の現状

翻訳は簡単じゃないんだ、ということがどうしてわからないのか、不思議に思うんですよ。

編集者と話してもみんな嘆いている。どうしてこんなの出してくるんだろうとね。たいていの翻訳者が金を取れない原稿を出してくるというんです。

最近は翻訳をやりたい人なんていくらでもいるので、翻訳出版をやっている出版社には希望者が殺到しているんです。ある編集者の話なんですが、この数週間で翻訳をやりたいという人が何人も来たんだけど、ひとりを除いてみんな「下訳の仕事はありませんか」と言ってきたらしいんですね。

そんな人に仕事を出せるわけないでしょう。翻訳をしたいのならまだわかるけれども、下訳をしたいというレベルの人に仕事なんか任せられるわけがない。それでも良さそうな人に勇気をだして頼んでみたら、これで金取るつもりか、 と言いたくなるほどひどい原稿を出してきたというんですよね。

これまで何冊も翻訳をやってきた人でも、とても金にならないような翻訳を出してくることがあるんですよ。そんな例を山ほど知っていますよ。たいてい編集者が泣いているんですよね。正月つぶしてなおした話とかいっぱいあるから。何日も徹夜を重ねてやったとか…。

そんな翻訳者でも、みんな一生懸命やってるはずだから、出てきたのがその人の限界なんですよ。細かいところはともかく、全体が悪かったら本人に言っても絶対に直せるわけがない。編集者が自分の時間をつぶしてやるんですよね。

今は出版点数が多いから、本来なら翻訳なんてできるはずのない人にも、翻訳の仕事が回ってくるわけです。逆にいうと、本当に翻訳のできる人は10人くらいしかいないのかもしれない。まあ、10人と言ってしまうと大げさかもしれないけど、10人くらいなら名前をあげられますよ。他にもいるかもしれないけど、読んでこの人は翻訳だねっていえるのは、20人くらいかなぁ。

英文和訳がベストセラー?

(そっ、そんなに少ないんですか…)

20人というのはすごく多いと思いますよ。ほとんどの人は翻訳になっていないんだから。意味を伝えられないんですよね、みんな…。原著者が原文に込めた意味を正確に表現できないんですよ。そんなのは翻訳じゃない。英文和訳なんですよ。英文和訳がうまい人ならいくらでもいますよ。名前の通った人にもそういう"英文和訳の人"はいっぱいいる。

どういうわけは知らないけど、ベストセラーをやっている有名人に英文和訳の人が多いんですよね。意味なんかは全く伝えていない。原文を読んだらびっくり仰天するようなレベルなんです。参ったな、これは違うだろう、と言いたくなるような内容なんですね。日本語になっていない。

翻訳学習者にどういう翻訳家を知っていますかときくと、たいてい出てくるのはそういう人の名前ですよ。

ところが、大部分の日本人は英文和訳を学校で勉強してきたという背景があるためか、そういう英文和訳調の文体に慣れてしまってるんですね。しかも、小説なんかだと、困ったことに、そういう文体の方が速く読めるんです。実は幼稚なだけなんですけどね。言葉が幼稚なものは速く読めるでしょう。

単純で変化がなくて幼稚なものは速く読めるんですよ。そんな文体がミステリーなんかでは「読みやすい」という理由でもてはやされているんです。幼稚なだけなのに…。

たとえば、会話の部分で、女の子も、ヤクザや警察官も、みんな同じ調子で話していたりする。恋人同士でしゃべっているところでも、どっちが男でどっちが女なんだか分かりゃしない。

そんなのが読みやすいらしいんです。私なんか、頭に来て本を投げてしまうけど(笑)。ミステリーは筋だけを追いたいという人が多いらしんですよ。早く先に進みたくて、文章を楽しもうなんて思わないから、幼稚な翻訳調の文章の方が手っ取り早いんでしょう。

おもしろい話なんですけど、日本のミステリーの質がすごく悪くなっているのは、翻訳が悪いからだという指摘があるんです。海外ものの文体がああだから、あれが本場のミステリーの文体なんだと日本の作家が思いこんでいるらしいんですね。

翻訳家という肩書きの人間が高額納税者とか長者番付に出てきたことはないでしょう。私はみたことがないんだけれど。もし、翻訳をやっている人たちだけで、長者番付をつくるとしたら、上の方に名前が載るのはそういうタイプの人たちでしょうね。

産業翻訳のプロだって100人いるかどうか

産業翻訳にだって全く分かっていないのがいっぱいあります。なんでこんな人が翻訳をやっているの?と言いたくなるのが、ものすごくたくさんあるんですよね。なんのために金を使って翻訳したんだろうとかね。

産業翻訳でまともに仕事のできる人というと、全国で100人くらいなのかもしれないですね。表に出てこないのでわからないけど、日本中探したって、ちゃんとした翻訳のできる人間が100人以上いるとは思えない。それ以外はプロじゃないんだから、プロというのは力が全く違うんだから、その違いを認めさせなければいけないんですよ。

出版翻訳だと名前が出てしまって、裏表紙に写真まで付いてたりするから、恥ずかしいのに…。作品を少し読めばどの程度のものなのかはすぐわかるのにね。まったく恥さらしもいいところですよ。いまどき、原作本も簡単に入手できるわけだから、照らし合わせて読めば、すぐにわかるんですよね。

世の中に出ている翻訳の9割くらいは英文和訳だと思う。まだ英文和訳のできる人は編集者に重宝がられるけど、それさえできない人もいっぱいいるんだから。編集者がみんな泣いている。

プロが食えるように

顧客にも言いたいですね、プロが食えるようにしろって。それぐらいの金を出せと言いたいですね。私の顧客は幸い出してくれるから、一般的な話しだけど、一番いけないのは翻訳会社ですよ。あれはいけないわ。安易に料金を下げすぎる。

加藤くんのホームページでも、翻訳料金相場をだしているけど、あんな安い翻訳料金では食えないんだから、引っ込めた方がいい。あれで食えたら不思議ですね。職業として成り立たない報酬体系を提示しているのはおかしいんだから、やめた方がいいでしょう。本当のプロだったら、あの2、3倍の金額をだしてもらって当然だと思います。

役に立たないような翻訳でよかったら、安いだけの人ならいくらでもいるんだから、そっちへいってくださいよ、と言いますね。使い物にならないのが出てくるだけで、お金をドブに捨てるようなものですけどね。

でも、現実には、役に立たなくてもカッコつけて翻訳しておかなけばれならない仕事もあるんですよね。実際には誰も読みはしないんだけど…。そういう仕事がいくらでもあるんですよ、企業や役所には。とくに役所というのは変なところで、誰も読まないような書類がごろごろしている。

そんな仕事だったら安い人でもいいんだろうけど、ちゃんと使える翻訳が欲しいのなら、プロが食える料金をだしてプロに頼みなさい、と言いたいですね。

たとえば、親と同居とか親からもらった家があって住居費がいっさいかからなくて、庭で家庭菜園をやってて、自給自足といった条件がないと、あんな翻訳料金でやっていけるはずがない。共働きで子供もいないという人ならいいかもしれないけど、普通はあれじゃ無理でしょう。

東京だと、住宅費だけでもけっこうな金額になるんです。住むだけでも大変なんだから。あんな料金で働いても食費がでないんじゃないの。だったら、夜中にコンビニでバイトでもして生活費を稼がないとね。1時間で1000円もらえるんだから、そっちの方がいい。

顧客もちゃんと対価を払わないと

新規で参入してくる志望者が、仕事が欲しいばかりに、極端な安値で請け負ってしまうのがいけないんでしょうか

それもあるけど、お客さんの方がもっと悪いと思う。安ければ悪いというのは分かり切ったことなのに、そんな翻訳会社に頼むから、気が知れないと思いますよ。

顧客の外注担当者にきくと、みんな泣いているんですよね。上がコストを抑えろと圧力をかけてくるので、少しでも安いところに依頼するんだけどね…。たとえば、1週間で翻訳する必要のある案件があって、さばよんで5日間の納期で外注したのに、あがってきた翻訳が全く使えない。初めから自分でやっていれば1週間もかからなかったのを、残りの2日間で自分が直すはめになったとか…。

そんな話を山ほど聞くんですよ。外注したけど全然役に立たないから全部やり直したとかね。そうなるに決まっているんです。プロでは受けられない料金しか払っていないんだから。

たとえば、車が欲しい人がいて、ディーラーへ買いに行ったとしますよね。安い方がいいから予算は1万円だなんて言ったら、リアカーぐらいしかも持ってこないでしょう。10万円なら中古の原付ですよ。新車が欲しいんだったら200万円だしなさい、となりますよね。当たり前のことでなんです。ちゃんとしたプロの翻訳が欲しいんだったら、プロの仕事に見合う対価を払って当然なんですよ。

顧客の側にそういう常識が欠けているんだと思いますね。

翻訳をわかっているお客さんは、安売り翻訳会社の3倍とか4倍の料金で見積もりしても、ちゃんと発注してくれる。合い見積もりをとっているようなお客さんだと、初回は何分の一の料金でやっている安いところに行くこともあるけど、次からはこちらに来てくれますよ。参ったよ、ひどい目に遭ったよ、という苦労話をみやげにね(笑)。

いいものが欲しいんだったら、ちゃんとした料金を払うというのは当たり前のことなんです。そのあたりの事情がわかっていて、安売り翻訳会社なんかに行かないお客さんも少なくないですよ。

いい翻訳会社というのは、営業もしていないんですよね。口コミの評判だけでお客さんがやってくる。リピートだって多い。優秀な翻訳者だってそうでしょう。表には出てこないし、自分から仕事を取りに行くようなマネは絶対にしない。そんな必要はないんだから。
営業マンなんて一人もいませんという翻訳会社だって珍しくないんです。それでどうして経営が成り立つのか不思議に思う人がいるかもしれないけど、何もしなくても向こうから翻訳をやって下さいという電話がかかってくるんですよね。

営業マンがたくさんいて、派手に表に出てくるような会社は、事情に疎い顧客を見つけて仕事をとってくるんですね。実力のない翻訳者が仕事をして、どうしようもないのを出してきて…。

まあ、私らとは世界が違うから、勝手にやってくださいという感じなんだけど。

稼いでいる人というのは

成功者あるいはトップレベルにある人と認められる条件として、それ相応の収入があるはずだという見方があるんですが…

翻訳で、そんな人はいないんじゃないですか。

産業翻訳では、本当に実力があって収入の多い人というのは表に出てこないのでわからないから、中にはいるのかもしれないけど。出版翻訳の場合、実力と収入というのは全く比例していなくて、実際、かなり食い違っていると思います。トップレベルの人が収入が多いというわけではないですから。普通の人より少ないということはないのだろうけど、特に多いというわけでもないですね。

さきほどお話しした、英文和訳で速く読める文体の人が、けっこう稼いでいるんじゃないかなぁ。小説の翻訳をやっている連中で納期を守るというのは貴重な存在だから。そういう人がいるんですよ。翻訳のスピードが速くて必ず納期を守るというのが。小説の文体じゃないのにね。

読者がクレームを付けるとかしないとね、何も変わらない。

翻訳評論の必要性

ところで、翻訳評論を読んだことがありますか。

そう言われると、見たことがありませんね.)

別宮貞徳氏が欠陥翻訳時評という連載で、ひどい翻訳の実例をあげていたけど、あれは誤訳の指摘だけだったでしょう。評論じゃない。

たとえば、イチローの打率が3割5分だとすると10打数のうち6回は失敗しているわけです。別宮氏の連載というのは、その失敗した6回の指摘ばかりをやっていたんですね。評論ではないわけです。

翻訳評論を書いてみたいんですよね。誰もやらないから、どこかで自分がやらなくてはと考えているんですけどね…。

翻訳ほど、おもしろい仕事はない

15年ほど前に、翻訳学校に通った人がいたんだけど、難しいからやめておきなさい、とさんざん言われて、結局学校の方は途中でやめちゃったらしいんです。今では、その人も産業翻訳と出版翻訳の両方で若手の有望株だと言われているんですが、その人が学校に通っていた当時は、翻訳がいかに難しいかを一所懸命、教えてくれたというんです。

ところが、今の翻訳学校は逆になっている。翻訳なんて簡単にできるんですよ、ちょっと勉強すれば誰だって翻訳家になれますよ、と吹聴して生徒を集めているんですね。難しいということを、ちゃんと言わなくてはいけないのに。

だって、簡単な仕事だと言われたら、あこがれの対象にならないでしょう。難しいからあこがれるんだし、必死になって努力するんです。そうしてはじめて人材が育つ。どの業界、どんな仕事でも同じじゃないですか。

簡単で誰でもやれる仕事はつまらない。本当に難しいから、ものすごくおもしろい。だからこそ、それに一生をかけてみようという気になるんです。翻訳は難しい、と言わなくてはだめなんですよね。

出版翻訳で60代というと長老になるんですが、そんなベテランでも驚くほど勉強しているんです。どこまでいっても勉強は終わらないんですよ。それくらい奥が深いんです。そういうレベルに達してあらためて翻訳の仕事は魅力あるなと思えるらしいんですね。

翻訳ほどおもしろい仕事はないんじゃないか、と思いますね。普通のサラリーマンなら、勉強という意味では、50代でおしまいでしょう。若いときには色々と勉強するんでしょうけど、役員にでもなれば別ですが、あとは惰性で生きている。
50を過ぎても、まだまだ勉強が足りない、もっと勉強しなくては、と思える職業はあまりないんじゃないかと思うんです。

いつだったか、翻訳者が集まる機会があってね。知人と久しぶりに会ったんですが、すっかりごま塩頭になっていたんです。よかったね、そろそろ中堅くらいになれるね…なんて、顔を見合わせて笑ったんですよね。頭が真っ白になるまで勉強を続けてやっと一人前だと認められる世界なんです。

その会場には若い人もたくさん来ていてね。翻訳以外の職業で35歳というとすごくあせる時期らしいんですよ。まあ、35というと結婚でも焦るらしいけど(笑)。翻訳で35歳というとヨチヨチ歩きのヒヨコでしょう。

よその世界を見回してみたら、落語の世界が似ているかな、と思いますね。だって、そうでしょう。50代の落語家なんて若すぎて信用されないんだから。還暦を過ぎてやっと一人前なんです。もっとも、古典芸能というのはある意味で老人向けの娯楽だから、担い手も年を取っていた方がいいというのがあるかもしれないけど、翻訳は違うんです。若い人から高齢者まであらゆる階層の人たちに読んでもらえる。

翻訳という仕事は、いかに奥が深くておもしろいかということなんです。今の社会にはどういうわけか、若くなければいけないという脅迫観念があるけれど、それを考えると、こんなにありがたい仕事は他にないんじゃないかなと思うくらいですね。

それはもう、単純に翻訳が難しいからなんですよ。年齢も高くなければいけない。そこのところを、世の中の人にわかってもらいたくて、みんなに言っているんだけど…。読者だろうが、学習者だろうが、発注者だろうが、みんなにわかってもらいたいんだけど…。編集者になると、当たり前のことをちゃんとわかっているからいいんですけどね。

そういうことを、ちゃんとみんなにわかって欲しいんだよなぁ…。

すっきりした世界

取材に来たのに、一言もしゃべらなくなってしまった筆者を気遣って…

加藤くん、どうしたの、そんなに萎縮しないで(笑)。

年齢は関係ないんだから。ハンディをもらえるわけではないんだけどね。出版翻訳だと一番若い人で30くらいかな。そんな若い人でも60代のベテランと対等の立場になるわけです。1冊でも訳書を出したら、ベテランと同じ土俵で戦わなければならないんです。だってプロなんだから。自分はルーキーだから、あんまり打たないでくださいよ、とバッターにお願いするピッチャーはいないでしょう。

そういう意味ではすっきりしている世界ですよ。年功序列ということは絶対にない。実力次第なんだから、ものすごくすっきりしている世界ですよ。なんの制約もないんだから。学歴もいらないし。

翻訳をやっている女性は美しい

こないだ、加藤くんが「ビジュアル系が少ない」なんて書いてから、ひとこと言っておこうか。

いま、翻訳をやっている人は女性がほとんどなんですよね。みんな美しいね。ビジュアル系かどうかはわからないけども、全員が間違いなく美しい。

顔には、親の責任の部分と自分の責任の部分がありますよね。親の責任によるところはしょうがないんだけど。翻訳をやっている女性はみんな顔が引き締まっている。真剣にやっているからなんだろうけど、そういう顔って美しいでしょう。すごく綺麗なんですよ、みんな。翻訳をやっているプロはみんな表情が違う。難しくておもしろい仕事を一生懸命やっているからなんでしょうね。

そういう意味では、美しく見えるかどうかは、翻訳をやれるかどうかの判断基準として重要だと思いますね。顔がよくない人はだめですね。うちでは、顔で人を選んでいるようなところがあるので、山岡は面食いだなんてよくいわれるんですけどね(笑)。顔の造形とか、体格だとかは全く問題にしていないんだけど、顔つきや表情の悪い人はだめだと思う。

男は知らないけどね、なんだかムサーイのが多いから(笑)。

翻訳は、もの書きの仕事

社会に参加したいからとか、英語力を活かしたいとかという理由で翻訳をやって欲しくないと思いますね。だったら、外資系企業に勤めて、英語の仕事をした方がいいと言ってやりますよ。

翻訳というのは日本語を書く仕事なんだから。中には英語を書く人もいるだろうけど、たいていは日本語を書いているんですよ。それで、日本語が書ける人間ということになるんだけれど、少ないんですね、ものを書ける人が。周りをみてもほとんどいないでしょう。

たとえば、大企業で人事部長あたりにちゃんとした文章の書ける社員がいるかと訊いたとします。何万人も従業員がいるような会社でも下手をすると4、5人くらいしか名前があがらないこともある。そんなものなんだと思いますよ、ものが書ける人の割合というのは。まあ、大企業の社員といったって文章を書く訓練を受けいるわけではないから、当たり前のことなんですけどね。

文章を書くというのはものすごく難しいことなんだから、一筋縄ではいかないんです。それに加えて外国語の原文があるんだから、とてつもなく難しいということになる。プロはそのあたりがわかっていて一生懸命に訓練をするんですね。

みんな、どうして翻訳が難しいということがわからないのかなぁ。原文があるから簡単だなんて考える人が多い。逆なんですよ。原文がなければ自由に書けるんだけど、原文のある文章を書くというのは、ものすごく難しい作業なんです。

昔、翻訳会社にいた頃は何人も面接したし、独立してからも個人的に面倒をみているので、これまでに1000人くらいの翻訳志望者をみてきたんだけど、たいていは英語に自信をもっているんですよ。それで、トライアルみたいなものをやってもらうと、本人が自信満々の英文解釈でさえ、翻訳者のレベルに達していると思える人はほとんどいないんです。

一番自信をもってるところでみんなダメなんですよ。自分の英文読解力は怪しいから勉強しなければいけない、と考えていてくれればまだ見込みがあるんだけど。

それはもう絶望的な志望動機なわけですよ。英語力を活かしたいというのは。

一流に学びなさい

最近の若い人はたいてい翻訳学校に行っているんだけど、あれがいけない。添削にしたって三流の人がやっているんだから。三流の人に手ほどきを受けたって、四流にしかなれないでしょう。学校へ行くのなら先生を選べと言いたいですね。プロだったら作品が出ているんだから、それを読んでから習うどうか決めるべきでしょう。でも、そんなこともしない人がほとんどなんですね。自分がどういう先生に習うのか調べもしないで行くわけです。

うちで勉強をしたいといってくる人でも、山岡洋一がどういう人間でどんな作品を手がけてきたのか、下調べをしないで来るんですよね。いまどき、名前をキーワードに入れるだけで、すぐに調べられるのに、そんな簡単なこともしようとしない。それでプロを目指すつもりか、と不思議に思いますね。

習うんだったら一流の人を選びなさい。もっとも、一流の人が直接教えてくれることはまずないし、そもそも亡くなっていることもあるけれど、ありがたいのは、一流の翻訳作品が誰でもみられることなんですね。みんな情報を公開しているわけですよ。お金を出せばたいていの本を買えるんだし、図書館へ行けばただで読める。翻訳の技法なんて隠しようがないんだから、隠そうと思ってもできやしない。一流のプロが手口をすべて明らかにしているんですよ。それで勉強しない手はないでしょう。 後進の指導にも熱心な人格者である

たとえば、プロ野球選手を目標にがんばっている高校球児がプロ野球を観たことがないなんて考えられないでしょう。もし、そんなのがいたら馬鹿ですよね。ゴルフを趣味でやっているおじさんでも、尾崎とかタイガーとかのプレーをテレビでしっかり観戦している。一流のプロの仕事を目にしたことがないなんてまず考えられない。それが当たり前なんです。

職業としての翻訳

翻訳という職業について、世間は誤解で満ちあふれているわけですね.)

厳しい仕事なんだから、おもしろいんですよね。まったく、そこのところがわかってなくてね。本当に難しいんだから…。

この8月に山岡さんの新刊が出る。本物をめざす翻訳学習者はもちろん、あまったるい論調の翻訳雑誌に飽き飽きしているプロの方にも一読をお勧めする

『翻訳とは何か―職業としての翻訳』
山岡洋一著 2001.8 日外アソシエーツ刊行
本体価格 1,600円 ISBN4-8169-1683-0

【筆者あとがき: 今回、インタビュー記事の執筆にあたりましては、筆者の主観を交えず、山岡氏のお話しをできるだけ正確に伝えるように務めました。話し言葉をそのまま文章に書き起こしていますので、読みにくい点がありますが、ご了承ください。インタビュー当時、筆者は山岡氏の著書をまだ目にしていません】

(聞き手・構成・文 加藤隆太郎)yamaoka

※この記事のオリジナルは、日外アソシエーツ発行の読んで得する翻訳情報メールマガジ・トランレーダードットネットに掲載されたものです。お問い合わせはこちらまで

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